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2010年02月13日

●日独融合型薬局をめざして-2(吉岡ゆうこ)

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*ALTE HOF APOTHEKE(バーデンバーデン)

ドイツの薬局のよいところとはどんなところでしょう。まずは、見た目です。センスがあります。患者さんから(日本の)薬局は豊かさがないと言われたことがあります。日本の調剤専門薬局のイメージはプレハブの建物、待合室も狭く、プライバシーなんてあったものではない、大きな病院の前にはたくさんの薬局が並んでいて、異常に感じる。などです。もちろん豊かさをかもしだしている薬局もあるのでしょうが、私の家の近くにはみあたりません。

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*UNIVERSITATS APOTHEKE(ハイデルベルク)

ドイツの薬局の開局許可基準に定められた薬局の広さは30坪以上です。日本の薬局が6坪あれば開局できるのに比べると広いですね。公道に面している面はガラス面でないといけません。それぞれの薬局がそのガラス面を利用して、様々なディスプレイをし(ドイツではデコレーションという)、生活者の目を楽しませてくれます。チェーン薬局がないので(現在は一人の薬剤師で支店を3店舗まで開局可)金太郎飴のような構えの薬局は見あたりません。薬局ごとに違うし、季節により変化し、薬局のウインドウを見ているだけで楽しくなります。どこの薬局もOTC医薬品を販売しているのであたり前ですが、とても入りやすい雰囲気で、中にはいると、OTC医薬品が整然と並んでいます。そのOTC医薬品のパッケージもシンプルなデザイン(白が基調)で、薬効ごとに並べていてもメーカー間の違和感もなくバランスのとれたパッケージ仕様になっています。もちろん安売りのビラなど貼ってありません。それから薬局の中のディスプレイもすばらしいです。薬は高価(大事)なものという考え方から、中世の頃より高価なものであるということを知ってもらうために高価な器(壺)に入れたといいます。今は高価な薬壺には入っていませんが、その薬壺がディスプレイされていて、重々しさをかもし出しています。人は見た目で90%決まるといいます。薬局も見た目で90%決まるのではないでしょうか。

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*SCHWAN APOTHEKE(ハイデルベルク)

2010年01月26日

●日独融合型薬局をめざして-1(吉岡ゆうこ)

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*フリードリッヒ2世の霊廟があるカテドラーレ(パレルモ)

ネオフィスト研究所ではドイツの視察旅行を通じて、ドイツの薬局の優れた点を吸収してきました。日本でそのドイツの薬局のよい点を取り入れた日独融合型薬局をめざして、研修プログラムやグッズの開発を行っています。ヨーロッパの薬局に行くと感じることですが、調剤専門薬局はありません。どこの薬局もOTC医薬品と処方せん医薬品を扱っています。もっと言えば日本でいうところの医療用医薬品の販売も行っています。 
ヨーロッパの医薬分業は神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ2世が医と薬の分業体制(医薬分業)をひいたことが始まりと言われています。フリードリッヒ2世は、アラビアの薬局制度に習い、法律を作ったといわれています。シチリアに行ってフリードリッヒ2世の足跡も探索してきましたので、追々ご報告します。日本の医薬分業が本格的に始まったのは、15年前(1995年)くらいですから、まだ日本はよちよち歩きの段階です。ヨーロッパとの開きが750年くらいもあるわけですから、時間を簡単に埋めることはできません。しかし、前に進むことはできます。なぜ、薬局ができたのか(世界で最初に薬局ができたのは8世紀ごろのアラビアといわれています)、なぜ医薬分業の体制がひかれたのかの根本を考え、薬局の役割を考えたいと思っています。

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*皇帝と王の霊廟

ヨーロッパの薬局を視察して、感じることのもうひとつのことは、日本の薬局の優れた点です。日独融合型と言っているように、よい点はなんとしても残さねばなりません。ヘレニズム文化(ギリシア風の文化)ということばがあります。アレクサンダー大王の東方遠征のおかげで、ギリシアの文化が東方へ伝搬し、ギリシア文化とオリエント文化が融合し新しい文化が開化しました。アレクサンダー大王の時代(紀元前330年ごろ)からローマによるエジプト併合(紀元前30年)までのおよそ300年間の文化をいいます。日本の法隆寺や唐招提寺にもそのヘレニズム様式が伝わっています。アレクサンダー大王は33歳という若さで亡くなりましたが、彼は後世に多くのものを残しました。歴史を学び、歴史を教訓としながら、あれやこれやと日独融合を模索しています。

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*カテドラーレはさまざまな建築様式が複合していた