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2007年04月21日

●イタリア●フィレンツェにて"メディチ家巡り"(城戸まゆみ)

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*ドゥオーモから望むフィレンツェの街並み

花の都フィレンツェ。教会や建物には職人技を駆使した繊細なレリーフ、今にも動き出しそうな広場の彫刻、体の温もりや息吹が感じられる人物画・・・。フィレンツェは今もそのままルネサンスの街並みを残し、芸術品の宝庫として人々を魅了する街です。
キリスト教、ローマ教会の思想や迷信に呪縛された時代は、芸術や学問にとっては暗黒の時代でした。ときの大富豪“メディチ家”が持ち込んだ斬新な気風は、フィレンツェの街にルネサンス旋風を巻き起こします。

   “青春はうるわしくも
   あわれはかなきかな
   今をこそ楽しみてあれ
   何ごとも明日ありとは定かならねば”

当時、銀行家であり、パトロンとして芸術家や知識人たちを保護したメディチ家のロレンツォ(144992)の詩です。ルネサンス以前の「この世でしっかりと罪を懺悔し、来世で救われよう」という思想から一転した「今この時を楽しく生きよう!」というこの詩。ルネサンスの新しい精神がよく伝わってきます。

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*街の中心ドゥオーモ"花の聖母教会"こちらは正面(ファサード)

メディチ家の歴史を紐解きながらフレンツェを散策しました。街のいたる所で見られる印象的な“薬玉の紋章”。これがメディチ家のシンボルであり、一族がもともと医業や薬業を継承してきた家系であったことに由来します。そもそも英語のmedicine(医療、薬)は“メディチmedici”が語源だとか。メディチ家の守護聖人として祀られる「聖コスマス」と「聖ダミアン」は、診断用の“採尿瓶”と“乳鉢・乳棒”を手にした医薬の守護聖人でもあります。医療や薬とフレンツェの大富豪メディチ家が繋がっていきます。
オーデコロンの原点となった「王妃の水(オー・デュ・ラ・レーヌ)」は、メディチ家からフランス王室へ嫁いだ“王妃カトリーヌ”のために特別に調合された香水です。それを生み出したのは、フレンツェにある世界最古の薬局「サンタ・マリア・ノヴェッラ」です。その香りの調合はこの薬局で500年にもわたり忠実に伝えられ、製法もそのままに今も作り続けられています。

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*メディチ家の紋章

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*ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』1484年頃

メディチ家の所有した絵画の多くはこの街の「ウフィッツィ美術館」に収められています。メディチ家と交流が深かった画家“ボッティチェリ”は、メディチ家の農園に咲き乱れていた草花や薬草を実物大に写生しています。「全てを自然のままに表現しよう」というルネサンス思想。『ヴィーナスの誕生』に巻き散らされている花は、香水の原料であるローザ・アルバ(ブルガリアローズの亜種)。『春』に描かれている40種以上もの薬草や植物はどれもこれも実在するもので、その描写の確実さは品種まで特定できる程だそうです。美術館の数々の名作にまさに“今こそ楽しみてあれ!”状態、魂を磨くどころか、魂をすっかり奪われてしまったようです。
注:ネオフィスト研究所は、数々の視察旅行を“薬剤師としての刃やいば(感性と魂)を磨く旅”と位置づけております。
(2006年8月取材)

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*シニョリーア広場に隣接する『ウフィッツィ美術館』
 代理石像は<ヘラクレスとカクス>

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*ポンテ・ベッキオ橋とその上のヴァザーリの回廊。
 メディチ家の宮廷とフィレンツェ市街地を結ぶ
 (ウフィッツィ美術館の中から見える)

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