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2007年03月25日

●岐阜●伊吹山での"薬狩り" (城戸まゆみ)

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*伊吹山の麓にある天下分け目の合戦「関ヶ原古戦場跡地」

若葉薫る5月です。“薬狩り”と称して、薬草の山として名高い“伊吹山”に登ってきました。
『日本書紀』の記録によれば、日本で最初に行われた“薬狩り”は西暦611年5月5日、今から1400年も前のこと。推古天皇が百官を率いて大和の莵野田で薬草を採取したのが事始めだそうです。
さて、自然の野山から人を癒す薬草を採取する、そんな薬剤師としての自然観察眼を磨くための今回の“伊吹山”登山。古来より薬草が豊富だったこの山に、さらに織田信長がポルトガルの宣教師に命じて欧州産の薬草を移植させたことで、日本一、薬草の種類が豊富な山として知られています。数々の植物園や薬草園を観察し、多少は薬草を観る眼が養われたと思っていたのですが、一つ一つ植物名が表示してある薬草園とは違い、まだ芽吹いたばかりで花もないたくさんの植物の中から薬草を見極めるのはそう簡単にはいかないようです。まずは、山頂まで登ってみることにしました。道々、花を咲かせている植物の名前を植物図鑑で調べながら歩いていくと、薬草ではありませんが、二輪草、山猫の目草、延齢草・・、今まで名前もわからなかった草花に興味がわいてきます。登りつめた薬草の山の頂上は、“薬草といえば深山幽谷”のイメージを壊し、気持ちのよい広い野原。山のすぐ麓に琵琶湖を望めます。おみやげ店で買った伊吹ヨモギの草餅が美味しかったので、帰りは“ヨモギ狩り”をすることに。ヨモギなら葉っぱだけでも分かります。3合目あたりにくるとたくさんのヨモギが若芽を出していました。ヨモギの名前の由来は、四方に根茎を伸ばして広がる「四方草」という説や良く燃えるから「善燃草」という説があります。葉の裏の白い「綿毛」を集めるとお灸に使う「艾(もぐさ)」になります。高級な艾ほど葉が混じらず、白い綿毛だけです。漢方では艾に葉がついて艾葉(がいよう)と呼びます。艾葉は体を暖めて下腹部の痛みや出血過多などを治すので婦人科系でよく用いられます。
伊吹の薬草はこれからが旬。6月には当帰が白い花を咲かせ、7月にはオトギリソウの鮮やかな黄色い花が見られることでしょう。薬(ヤク)に語呂を合わせた毎年8月9日には、伊吹山周辺の市町村長による薬草サミットが開かれ、同時に薬草についてのたくさんの講演やシンポジウムがあります。まだまだ、薬草修業は続きます。
(2006年5月取材)

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*伊吹山の頂上にある日本武尊の石像日本武尊が荒神を退治に伊吹山に登ったところ、その化身の大蛇の毒に当てられ健康を害したという伝説がある日本武尊の病状から大蛇の毒はトリカブトの毒だったと云えられている

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*本州のほぼ中央部に位置する伊吹山は全山石灰岩からなる山。伊吹山は地理や地質、気象条件で太平洋気候による暖地系植物、日本海気候の寒地・積雪型植物などの分岐点となっておりこの山に薬草が多い理由となっている

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*百人一首“かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを(藤原実方)”ここでいう「さしも草」とはもぐさのことで、中山道沿いでは伊吹もぐさが売られ、その名は全国的にひろまった

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*トリカブト? 花の咲く時期が違う・・・
たくさんの植物の中から目当ての薬草かどうかを見分けるのはむずかしい。見た目はよく似た毒草もあるので図鑑は写真だけでなく解説を必ず読む。

2007年03月24日

●長崎●ネオボラと長崎を歩いて(城戸まゆみ)

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*シーボルト記念館の庭園にあるシーボルト胸像

鎖国時代、そして開国後の明治初期まで、海外の様々な文化は長崎を通じて日本に持ち込まれました。長崎にはその頃の史跡が街中に残っています。近代医学、薬学もまたドイツ長崎日本のルートを経て現在に至っています。第1回ドイツ視察旅行の前に、ドイツにつながる長崎の歴史や文化を体験してみようということが今回のネオボラ長崎合宿の目的の一つでした。日本最西端のJRの駅、長崎に参加者全員集合。長崎市街の中心部、「浜の町」にて昼食タイム。茶碗蒸しと蒸し寿司のセット、「夫婦蒸し」を食べ、長崎試食旅行・・・いいえ、長崎視察旅行がスタートしました。

鎖国時代、唯一の海外との窓口であった長崎には、西洋の新しい文化が持ち込まれました。ビリヤード、望遠鏡、アスファルト道路、聴診器。長崎出島のオランダ商館を通じて、日本に伝わったものはあげだすときりがありません。日本初「処方せん」は、西洋医学を長崎の地で伝えたシーボルトが書いたものといわれます。最初の視察は鳴滝町にあるシーボルト記念館。この日本最古の処方せんを見て、「医師シーボルトの処方意図」を理解することができるだろうかと、挑戦的に目的地に向かっている途中、「ここが私の生まれた家」との、吉岡所長の声。 所長曰く、幼い頃には、シーボルトが多くの弟子を育てた「鳴滝塾」の跡地で遊んでいたそう。その後は所長の生い立ちも同時に辿りながらの楽しい散策となりました。

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*目にも鮮やかな洋館造りのシーボルト記念館

シーボルト記念館には、前述した日本初「処方せん」のほか、シーボルトの薬箱も展示、そして鳴滝塾門下生の系図がありました。系図は日本全体に広がり、現在の医療者である私たちはその末端にいるのかも(!?)、ネオフィストのスコレ塾門下生やネオボラが活躍してこんな系図ができたらいいな、などと楽しく想像しながら館内を見学しました。当時長崎への留学を許可されるのは、藩の中で選ばれた限られた人のみでした。出島資料館では、西洋の新しい知識や技術に驚き、目を輝かせている日本人の様子が紹介されています。
観光地として有名なグラバー園は、開国以後、明治時代の西洋人の夢の跡地です。日本でビジネスチャンスを求めてこの地にきた人々の魂が残っている場所です。ここから長崎港を見た景色は空も山も海も見下ろした気分になれるものです。鎖国時代の西欧文化の入り口は「出島」でしたが、開国後は、この外人居留地が「日本初モノ」渡来地に。
西洋からは食文化も伝わり、長崎卓袱料理が誕生します。坂本龍馬の刀傷が残る料亭『花月』で卓袱料理をゆっくり味わいながら、当時の長崎留学生たちのように、海外と日本との関係を考えていく時間を持ちました。そして、今回のネオボラ合宿の開催地を長崎にしたもう一つの理由につながります。昨年はイラク情勢を始め、平和への不安がよぎり、また台風、中越地震など天災も多い1年でした。そこで、原爆の被災地である長崎を見ることで、参加する薬学生とともに、今、必要な何かを感じたいと思ったからです。

長崎原爆資料館が最後の視察地でした。忘れてはいけない過去がそこにはありました。あらゆる文化を取り入れ、今も街並みをどんどん変化させていく長崎。それとは対照的に60年前の原爆投下の時から、苦しみが今も変わらず続いている被爆者。今回参加の2名のネオボラさんは被爆者の想いのこもった手記をじっくりと読んでいました。資料館をでるときのお二人は、何だか凛とした表情になっていました。心から世界の平和を祈り、長崎視察旅行を終えました。
(2005年12月取材)

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*出島跡地にある1/15スケールのミニチュア「ミニ出島」

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*シーボルトは出島のこの場所に薬草園を作った

2007年03月23日

●ドイツ●アウクスブルクの薬草園(城戸まゆみ)

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バイエルン州の街、アウクスブルクは大富豪フッガー家による貿易、銀行業務で1516世紀に最も栄えた街です。1514年にフッガー家が救民のために建てた家賃2マルク(約200円)/年の「フッガー屋敷」は世界最初の社会福祉施設です。かつてはモーツァルトの祖父も住んでいたという長家風の団地は、今も当時の家賃のまま福祉施設として使われており、建物には歴史を感じますが、ゴミひとつ落ちていない状態。アウクスブルグは街の歴史も古く、1985年に街の創立2000年祭が行われました。そのとき新しく整備されたに動植物園に薬草園(アポテーカーガーデン)を作ったのが、HOF薬局のアポテーカー、Dr.ハックシュピールです。

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*アポテーカーガーデン全体図とDr.ハックシュピール

Drが私に教えたことが「薬のクオリティを見極める目は経験でしか養うことができない」。そして薬草園を薬剤師が自然観察眼を養う修業・研究の場、そして市民が憩う場として作りました。それから20年、70歳を迎えた今も、この薬草園はDr.ハックシュピールがほとんど一人で手入れや管理を行っているそうです。これを口に入れてごらん、と悪戯っぽく笑いながらDr.ハックシュピールが差し出したハーブを口に入れると徐々に強烈な苦みが口に広がりました。これはニガヨモギ、苦味健胃薬だから脂っこいものを食べた後に摂るといい、ただし1日中口の中は苦いけどね、こんな感じでユーモアとウィットに富んだDrの薬草園ガイドが始まりました。

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*左/ユーカリの木 右/トウゴマ

<ユーカリの木>ユーカリの葉の表面は全部太陽に向かっています。ユーカリは50メートル四方の土地から水分をぐんぐん集め、その水分を葉から蒸発するそうです。その性質を利用してマラリアが発症しやすい沼地に植えることで、湿地が乾燥し蚊がいなくなり、マラリア感染が予防されるのだそうです。また、ユーカリの精油は血圧を上昇させますので、アロマテラピーでは注意が必要です。

<トウゴマ>薬草園ではトウゴマがイガイガの実をつけていました。実の中の4つの種は、測ると4つとも全く同じ重さだそうです。この種を搾って作る油が下剤のヒマシ油です。油は医薬品ですが、残った油粕にはリシンという青酸カリの10000倍の猛毒が含まれます。

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*左/ホップ 右/ケシ

<ホップ>アウクスブルクがあるバイエルン州の公式飲料はビール。そしてビールはホップから作られます。ホップには雄花と雌花がありますが、精神に安らぎをもたらす効果があるのは雌花のみ。バイエルン州ではアルプスから乾燥した風フィンが吹き込むため喉が渇きます。バイエルンの人々は、ホップから作られたビールで喉の渇きと心身をリラックスさせているのです。

<ケシ>ケシには観賞用のケシ(ポピー)とアヘンが採取できる種類のケシがあります。アヘンが採取できるケシは、茎を葉が巻き込んでいるのが特徴です。ここで見たケシは花が終わり実をつけていました。葉の根元の形状を観察すると、しっかり茎を巻き込みまさしく日本で言うところの違法ケシでした。

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*ジャーマンカモミール と ローマンカモミール

<ジャーマンカモミール と ローマンカモミール>西洋ハーブの代表ともいえるカモミールは、紀元前3000年もの昔から消炎、鎮静作用を期待して医療に用いられた薬草です。カモミールには大きく分けてジャーマン種とローマン種があります。Dr.ハックシュピールは、ローマン種は偽物ときっぱり断言。外見ではどちらか見分けがつきませんが、花頭をポキリと折り、茎に空洞があればジャーマン種です。シーボルトはカミツレとして日本にジャーマン種カモミールを伝えています。花から抽出された精油は青緑色、薬効成分は“アズレン”です。皆さんも青いアズレン配合の胃薬やうがい薬、あるいは目薬をご覧になったことがあるでしょう。

5月にケシの花を見かけると葉の形状を観察する、6月にカモミールが咲けばその花頭を折ってみる、道端の草花は有効な、そして危険な薬なのです。薬草を栽培するは難しいかもしれませんが、自生している薬草を観察することで薬剤師としての"感性の刃"を研ぎ続けていきたいものです。
(2005年8月取材)

2007年03月22日

●ドイツ●薬草魔女ビッケルさんを訪ねて(城戸まゆみ)

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*ビッケルさんのポストカード

「ああ、気持ちがすうっとする!」 ドイツ薬事博物館に来ると全身に清々しい空気が流れ込んだような何とも不思議な感覚になります。例えると新年を迎え、神社に初詣でするときの気分に似た感じでしょうか。薬事の神様の下で、雑念が払われ、気持ち新たに薬学人としての道を歩む決意や喜びが湧いてきます。欧州視察の最初の儀式として、ハイデルベルグ城の芳香なアイスワインをお神酒の代わりにして身を清め、薬事博物館前の噴水にコインを投げ入れてお参り。今回もすばらしい出会いがありますように・・・。

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*マウルブロン修道院

視察3日目、世界遺産“マウルブロン修道院群(1147年建立)”。高い石の塀に沿って歩き、アーチ型の門をくぐると、そこには中世の街並が広がっていました。ヘルマンヘッセの小説に描かれているマロニエの木、噴水、美しい修道院。ゆっくり見て回りたいけれど、限られた時間。小走りで向かった先は、門のすぐそばに立つハーブのお店、現在の薬草魔女としてTVやマスコミでもその名を知られるビッケルさんのお店です。薬局でPTA(薬学技術アシスタント)として働くうちに芽生えたハーブへの興味、そしてとうとう自分でハーブ園を作り、研究に打ち込んだというビッケルさん。著書“薬草魔女のナチュラルライフ”は邦訳され、日本でも愛読されています。ビッケルさんに会えますように・・・。入り口で魔女人形の出迎えを受け、お店のスタッフさんにビッケルさんに会いに日本から来ましたと告げると、「彼女は今山にハーブを摘みに行っている」との答えです。山にハーブ摘みですって、素敵!この時何故か、私はがっかりはしませんでした。ハーブティ、ハーブの種、精油、明るい図柄のレシピ本・・・所狭しと並べられた薬草グッズにすっかり満足していたからでしょうか。ラベンダー、マリーゴールドなど、ハーブたちの色が生き生きとしているのです。野生の草の生命力と癒し。あれもこれもたくさん買い込んで、さあ集合時間、とその時、ラベンダーの花を両手いっぱいに抱え込んだビッケルさんがお店に入ってきたのです。劇的な瞬間、なんという幸運、薬事の神様に心から感謝!
(2005年2月取材)

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*薬草魔女ビッケルさんのお店

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*憧れのビッケルさんと出会えました

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*お店のハーブティ2種/左がHexenzauber Tee(魔女の魔法)右がWohlfuehl Tee(快適ブレンド)

2007年03月21日

●ドイツ●ハイデルベルクのドイツ薬事博物館にて(城戸まゆみ)

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  *ハイデルベルク城の中にあるドイツ薬事博物館

「ドイツ薬事博物館で医学・薬学の歴史とルーツを知る」まずここからドイツ薬学修業は始まります。そこで今回はドイツ薬事博物館を中心に報告します。ドイツ薬事博物館では、紀元前古代4代文明時代からの医療を観ることができます。メソポタミアやエジプトでは「病や死は神の怒りにより体に悪魔が憑いたもの」と思われていました。悪魔を体から追い出すために動物の糞や耳垢など悪臭のでるもの、吐剤、下剤などが薬として用いられます。とはいっても植物、動物、鉱物などの薬の種類も500種類以上と豊富でした。その中には、芥子や甘草など、今も薬として使用されるものも多数あります。エジプトで毎朝“太陽神ラー”のために焚かれたという「乳香」やミイラに使われた「没薬」も博物館に展示されています。この乳香と没薬は、聖書にも登場し、イエス生誕時、東からきた賢者たちがイエスに捧げたものとしても知られています。現在の日本でも婦人科系の漢方薬やアロマテラピーのオイルとして使われています。

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*ドイツ博物館の案内掲示板

博物館の通路に沿って時代を進むと、ギリシャ時代に移り、蛇に教わったという医学の神アスクレピオスから医学の父ヒポクラテスの時代となります。医学や薬学の専門家も現われ、異国からの薬が高い値段で売薬されます。ヒポクラテスは、病は体液のバランスが崩れた状態であるという「四液体説」を説き、ハーブや運動療法、養生のための食事療法で自然治癒力を引き出し、体液バランスを調整する治療を行いました。これがローマの医学者ガレノスによって引き継がれていきます。また、ローマでは万病に効く秘伝の霊薬として「テリアカ」が作られます。本来は全ての毒を消す「万能解毒剤」で、毒をもって毒を制すという言葉通り、「毒蛇の肉」も配合されていました。その他に多種類の薬草や動物の骨、鉱物など、いろいろなものが混合されていたようです。博物館では有名な「皇帝ネロのテリアカ」について秘伝成分の一部が皆さんに伝授されました。この「テリアカ」、近代日本に西洋医学を伝えたシーボルトの慣用薬でもありました。

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*ビーダーマイヤー様式の薬局調剤室

中世になると、製薬や調剤は修道院や城の地下などで極秘に行われるようになります。植物学の祖、ヒルデガルトの時代です。修道院は薬草園を所有し、薬草を自家栽培していました。薬事博物館では修道院や地下室にあった調剤室をそのまま展示してあります。当時、薬は高貴なものとして、りっぱな陶製の薬壷に大切に入れられていました。今でもドイツの薬局では、アンティークな薬壷がディスプレイとして大切に飾られていますし、通常使っている薬瓶までもがディスプレイのように整然と並べられています。
さらに薬の歴史を近世まで追っていくと薬効成分を抽出し、さらに化学合成する技術が発展します。それとともに自然療法から化学療法を中心とした医療に移っていきます。

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*薬の展示室にあるテリアカ

現在の医学や薬学はこのような先人たちの知恵が受け継がれてきたものなのです。薬学部が設立されるまでは、薬学の知識は師から弟子へと伝えられました。アポテーカーになるためには、自然学のエキスパートとして修業を積まなければなりませんでした。薬草園で薬草を栽培することがアポテーカーになるための最初の修業だったそうです。5年以上、薬草園での修業を積み、78年かけて知識や技術を習得し、師匠からアポテーカーとしての免状が渡されていました。「薬のことをよく知っているからこそ、薬を大切に扱うことが出来る。また、その薬が規格にあったものかどうかは薬局方に基づいた試験法で判断できるが、そのクオリティを見極める目は経験でしか養うことができない。」と、今も薬草を自家栽培しているHOF薬局のアポテーカーが私に教えてくださいました。そしてハーブを扱う一人の女性薬剤師をうちの魔女です、と紹介されました。今、ネオフィスト研究所に入ると、ラベンダーやメリッサなど、植木鉢のハーブがほのかに香ります。魔女薬剤師としての修業の第1歩が始まりました。
(2004年8月取材)

2007年03月19日

●ドイツ●魔女薬剤師になりたい(城戸まゆみ)

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*ハイデルベルクの街並み

「自然界に存在するあらゆるもの食物、動物そして鉱物までもが薬となり、そしてその自然の最も優れた観察者が薬剤師の祖である」3度目のドイツ視察、ハイデルベルグにある薬事博物館で聞いた薬事専門員さんの言葉です。
ハーブ療法やホメオパシーといった自然療法が医師による処方薬として用いられ、それらの薬が薬局で品質を管理され、薬剤師の手によって一般の市民に渡されるドイツ。
そのドイツ自然学の歴史の中に聖女ヒルデガルト(10981179)がいます。実は彼女、日本では「薬草魔女」というニックネームで呼ばれています。幼いときから神の声がきこえ、修道院の院長となります。そこで、ヒルデガルトは、教皇から司教、修道女、平信徒(これには皇帝や王族もいれば、文盲の庶民もいます)に至るまで広い層の人々の相談に乗り、神の名において彼らに警告を発し、今日の言葉で言えば、すなわちカウンセラーとして働きました。

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*マインツの古い薬局・歴史の重みを感じます

また彼女の自然観察力は驚異的だったといいます。その自然研究をもとにハーブの効能と使い方について記述したいくつかの本は、当時の専門家に注目され、ヒルデガルト・ルネッサンスという大ブームを生みました。秘密めいた修道院でカウンセリングを行い、そして必要なときは自然からえた薬を調合して渡す。
これがヒルデガルトの「魔女ぶり」です。その薬の効能は、いったいなんだったのでしょうか? 神への信仰と驚異的な自然観察から作られた薬は、「血圧を下げる」というように味気なく、ただ症状をとるだけのものではなく、その効能によって相談者の苦悩を癒し、人生を明るくするものだったと思います。映画シュレック2に登場する魔女は、シュレックに「ハンサムになる薬」を渡し、父君に「惚れグスリ」を渡します。魔女のもつ薬品棚には、それこそ人生を乗り切るための薬がずらりと並んでいるのです。

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*ヒルデガルトが飾ってあるフッセンの薬局のディスプレイ

「ぜひ魔女になりたい」ドイツでそう思いました。その時一つの出会いがありました。アウグスブルグでの通訳の方(日本人)がドイツの母と慕っている方が、ドイツ各地で薬草の先生をしているというのです。現在の薬草魔女です。次回のドイツ視察では、この91歳の薬草魔女様と出会い、そして自然への観察力を伝授していただきたい、そして「自然の最も優れた観察者=魔女薬剤師」となるための修行を積んできます。
(2004年8月取材)

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*ミュンヘンのハーブ薬局